腸内細菌学を樹立したパイオニアで、世界的権威の光岡知足博士の『腸を鍛える-腸内細菌と腸内フローラ』(祥伝社、2015年)では、医学に関する内容でありながら深遠な哲学が含まれています。
光岡氏は腸内細菌を同定・分類していく過程で、ヒトの健康にプラスに働く菌を「善玉菌」、マイナスに働く菌を「悪玉菌」と呼ぶことにしました。その意図は、多くの人にとってわかりやすい表現とするためでした。しかしご本人がいうには、そもそも物事を善悪に分けて悪いものを排除しようとする発想は、短期的には好結果をもたらすかもしれないが、長期的には生命活動のバランスを損なうリスクがあるといいます。
典型的な事例は、抗生物質の濫用によって耐性菌が次々と生まれ、しかも善玉菌も死滅してしまうため、腸内フローラがガタガタになり、結果的に個体の健康も低下してしまうといのがあります。この点、現代医学が、病原菌を悪いもの、すなわち「悪玉」として捉えて、排除しようとしてきた経緯が原因になっています。しかし、光岡氏が強調するのは、「善玉菌を増やせば、健康になれる」といった単純な話ではありません。すなわち、善玉菌も悪玉菌も、そのどちらでもない日和見菌も、すべてが共生することで、バランスの取れた腸内フローラができあがるということになります。
光岡氏が見出した共生の哲学のひとつに、善玉菌を全体の2割程度にするだけで、腸内フローラのバランスは整い、悪玉菌は悪さをしなくなるというのがあります。そして、大多数の日和見菌も調和を乱すことはありません。この全体の2割が変われば調和がはじまるというとらえ方は、私たちが社会生活を営むうえでも示唆に富んだ考えになります。
人間社会に照らし合わせてみるとわかりますが、すべての人が優秀で猛烈に働いているような組織は、どこか窮屈で、気づまりしてしまいます。ヒトも生物の一員ですから、なかには怠け者もいますが、そういった人が排除されてしまう環境は決して健康的とはいえないでしょう。
学校でいえば、優秀な人ばかりではなく、落ちこぼれも必ずいます。テストの出来がいい、悪いだけで、一人ひとりの個性がないがしろにされてしまうのであれば、それは健全な教育とはいえません。
このように、何事もすべてを変える必要はないようです。ある一定数を変えるだけで全体が調和するというのは、光岡氏が腸内細菌学の研究から見出した大切な発見なのだと思います。