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人間とは何かを問いつつ環境問題を考える

環境問題を考えるとき、人間の存在そのものを冷静に考えることがあってもよいのかもしれません。よく人間は地球上の生物の一種であるのに、どんどん増殖して地球を破壊していることから、がん細胞に似ているといわれることもあります。それは言い過ぎかもしれませんが、人類の歴史と地球環境の関係を理解することで、人間論や環境問題に関する新しい見方ができるようになるのではないかということです。

この辺の事情を壮大なスケールで解説してくれるのが、松井孝典『我関わる、ゆえに我あり』(集英社新書、2012年)です。人類は生物です。したがって、人類は他の生物と同様の生き方をしているうちは、人類は紛れもなく生物圏の一員でした。他の生物と同様の生き方とは、人類の場合、狩猟採集という生き方を指します。そのライフスタイルが農耕牧畜へ転換したとき、人類は地球の歴史を大きく変えることになります。それは、農耕牧畜が他の生物の生き方とは一線を画した異質な生き方からです。

農耕牧畜は、森林を伐採し、土地を開墾し、ある時は水の流れを変えて食料となる植物を育て、あるいは自分たちに都合よく生物種を交配改良し、生きる糧をつくり、食物としていく生き方は、明らかに渉猟採集のそれとは異なります。つまり人類は、生物圏の枠を超えて、自分たちにとって都合のよい新たな物質圏を作り出してきたわけです。この生物圏から分化した物質圏こそが、松井氏のいう人間圏になります。

松井氏は、この人間圏という概念を思いついたときに初めて、文明というものが科学的に定義できたと思ったそうです。つまり、地球システム論的な観点からいえば、人間圏を作って生きる生き方こそが、文明だからだそうです。

そして、産業革命以降に文明は爆発的に拡大しました。具体的には、地球内部にある化石燃料を掘り起こし、それをエネルギーとして利用するような文明がはじまったのです。さらに、20世紀半ばには、原子力というエネルギー源まで手に入れることになります。

松井氏によると、いわゆる人間圏や地球システム論の検討を抜きにして、人間とは何か、環境問題とは何かを問えないといいます。今までの哲学や生物学だけでは、現代に生きる我々を本当に論じられない。そういう思いが松井氏の中にはあるそうです。

本テーマについて、今ここで何か結論を出そうということではありません。そもそも、松井氏の記述していることをすべて咀嚼して理解するのは困難です。しかし、松井氏のように分野や領域を飛び越え、あるいは跨って、人間論や環境問題に取り組まなければ、的確な答えをみつけるのが難しい段階にあるというのが昨今の人類の置かれた立場ということではないでしょうか。私たちは非常に難易度の高い課題に直面しているといっていいと思います。

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