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ポリティカル・コレクトネス: その「正しさ」はどこから来る

清水晶子ほか『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(有斐閣、2022年)を読めば、「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」あるいは「政治的正しさ」のことが理解できるかと思いましたが、私の結論は「わからない」でした。本書の3名の執筆者にしても「わからない」というのが本音だと思います。

著者の方もいっておられますが、ポリコレが「思いやり」に還元され、「正しさ」を他者に押し付けることに危険性を見出しています。おおむね人による「正しさ」などは、主観に過ぎません。地域や時代、宗教が異なれば、その「正しさ」は変わります。そのことに気づかないと、正義を持ち出してまで自らの主張を他者に押し付けてしまいます。

そして、ポリコレが非常に危険であるというのは的を射ている表現だと思います。元来ポリコレは左派が打ち出す政策に対して、右派が牽制するために用いられた言葉だそうです。自分の考えを口に出す自由を脅かす不寛容さとしてポリコレを言及する事態に至ったということです。

ポリコレを気にすると、たしかに何も発言できなくなります。最近では、キャンセル・カルチャーのように、著名人が迂闊に発言してしまった言葉を捉えて、二度と表舞台に出られないくらい叩くことが行われます。ある意味で、物理的な暴力以上に暴力的なことです。

このようなポリコレやキャンセル・カルチャーの背後に何があるのか、あるいは誰がいるのかということは慎重に見極める必要がありそうです。「間違っている」とか、「正しさ」とは何かなど、そうそう簡単には見出せるものではないということを認識しておくべきでしょう。

そして、この書籍においても、ポリコレの議論は複雑で、いまだ流動的なので専門家でも説得力があるわかりやすい説明をするのは難しいようです。よって、あくまでも議論の入り口として本書は読んでみるとよいと思います。ただし、スタート地点に立つことしかできず、それすら怪しいと思えるほど簡単な内容ではないことを申し添えたいと思います。

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