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洗脳されない環境問題⑧ –  高齢化  編

我が国日本は、高齢化社会にまっしぐらです。2025年には、65歳以上の高齢者1人を2人未満の15~65歳の現役世代が支えなくてはならなくなります。2065年には1・3人という試算が内閣府から出されています(『高齢者の現状』・内閣府)。

それほどまでに、高齢者の総人口に対する割合が増えてきます。増えてきます、という言い方は正しくありませんね。高齢者の方がどこかから湧いて出てくるわけではありませんので。子供の数が増えないから、総人口がどんどん減って行った結果、高齢者の割合が大きく占めるようになるということですね。2065年では、日本の総人口は今の1億2000万人強から、9000万人程度まで減ると予想されています。本当に大変な時代になってきます。日本の公的年金のシステムは、賦課方式と言って、自分で積み立てしてたお金をもらうのではなく、現役の方が納めたお金をそのままその時の高齢者の年金として支払うそうです(『いっしょに検証公的年金!』・厚生労働省)。

そうすると、違い将来、二人の現役世代が、一人の高齢者を見なければならなくなり、もっとすると、一人の現役世代が一人の高齢者の年金を見ることになります。もうこれは不可能ではないでしょうか? その時に、現役世代の給料が上がってるとは到底思えず、自分の親を看るのでも大変なのに、社会の高齢者まで面倒見れるとは思えません。だからと言って、政府に文句言っても高齢化社会は来るし、では、自分はそれに向けて何をするか、を真剣に考えるべきだと思います。高齢化社会に対して、大きなテーマを掲げてるのが、〝任侠ヘルパー〟です。草なぎ剛さんが、主演された映画です。

僕は講義でこの映画を必ず、学生に観せています。観せるだけじゃなく、ちゃんとレポートとして、2000字以上を書かせます。この映画を学生に観せる前、僕は学生に「老人も廃棄物になる」と言います。そう言うと、「人間を廃棄物だという、なんと酷い先生かと、思いました」とか、レポートに書かれていることが結構あります。でも、映画を観て行くウチに、先生のおっしゃられたことの意味がわかってきましたと、いう意見に変わっています。任侠ヘルパーを観ると、高齢者には何が必要かというのが、考えさせられます。最新設備の医療が必要なのか、綺麗な設備が重要なのか・・・。家族なんだから、愛情を持って、最後まで診てあげなければ・・・など、いろいろ考えさせられます。

実際、ボケてしまったりしたら本当に大変です。年老いた親を持つことは大変なことで、耳が遠くなって、何回も聞かれることでも、イライラしてきます。ボケて外を徘徊しだすと、本当に周りは大変になってしまいます。徘徊している本人は、夜中徘徊して、日中は寝ているので元気なのですが、周りの者は普通に仕事もありますので、生活リズムが大きく崩れ、身体的にも精神的にも参ってしまします。それまで元気で介護していたお母さんが倒れてしまうと、これまで大好きだったおじいちゃんやおばあちゃんのことも、嫌になってしまいます。若い時は、おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんもお父さんも元気なので、おじいちゃんが、おばあちゃんが、お母さんが、お父さんが、ボケてしまったら、なんて、考えもしないと思いますが、必ず来る将来として、それらの情報を得ておくことも、大事なことだと思います。

ここまで育ててくれた親の面倒を見るのは当然なのかもしれませんが、綺麗事で済まされない現実もあると僕は思います。僕も、親が年老いてから、やっとそういうことを真剣に考え出しました。若い世代には、やっぱりまだまだ想像できないかもしれませんし、年老いていく親を想像したくないですよね。

僕が中学生の頃は、家にお風呂がなかったので、近くの銭湯に行ってました。父親といくと、必ず父親の背中を流してました。ある日、父親の背中が小さく小さく感じたんですね。僕がもっと小さい時は、父親の背中はあんなに大きかったのに、こんなに小さかったんだ・・・と一抹の寂しさを感じた覚えがあります。

「任侠ヘルパー」は映画なので、理想像が入ってるのかもしれません。実際に、お年寄りがそれぞれの得意分野を活かせて楽しく生活していくなんて、無理なのかもしれません。でも、人間誰しも必要とされた方が嬉しい。お年寄りを持つ若い世代も、お年寄りになっていく世代も、高齢化社会に対して、しっかり向き合っていかなければならないと思います。抽象的な無責任な言い方でごめんなさい。ここで最も言いたいことは、人間誰しも老いていくということです。

洗脳されない環境問題(立田真文 著・アメージング出版)より

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