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私企業の「検閲」により伝えられない情報

日本国憲法21条2項に検閲の禁止が規定されており、「検閲は、これをしてはならない」と明示されている。英語ではセンサーシップ(censorship)といわれる検閲であるが、検閲の主体は公権力である。公権力が事前に表現内容を審査し、不適当と認める場合に当該表現行為を禁止する。

しかしこの数年は公権力ではなく、Twitter、Facebook、YouTube等の私企業によって運営されるSNSの検閲が問題となっている。正確にはこれらの企業は公的機関ではないので、「検閲」ではないのかもしれないが、その影響力を考えると、公権力による検閲以上に社会への影響は大きい場合がある。

たとえば、誤った医療情報をYouTubeで発信したということで、動画が削除されるということが頻繁に発生している。誤っているかどうかの判断は私企業により行われているので、伝統的な憲法解釈では「検閲」に当たらない。あくまでも情報発信者と私企業の間の私的問題であり、憲法が介入する余地がないわけである。

このように、憲法の規制が及ばない私企業による情報統制が生じているという認識は必要である。公権力による私企業への働きかけがあるのか、私企業が自発的に規制しているのかはわからない。ただ、我々の日々の大切な判断材料も意図的に歪められており、物事に対する正しい認識が持てなくなっている可能性はある。本来であれば、検閲により削除された情報も含めて個々人が判断していくことが自律した個のあり方のはずである。

また、杉山大志『「脱炭素」は嘘だらけ』(産経新聞出版社、2021年)によると、フォーブスのウェブサイトに掲載された、地球温暖化脅威論で煽るのは誤りであることや、人類の活動だけではなく太陽活動の変動が地球温暖化に影響していること、CO2倍増による気温上昇は1℃と1.5℃の間程度であるということなどが、編集上のガイドライン違反ということで削除されたということもある。

さらに、YouTubeに掲載されたマイケル・ムーア監督の映画『Planet of the Humans』によって、再生可能エネルギーは、実は環境への負荷が大きいので、環境に優しいわけではなく、環境ビジネスが一大産業化して企業に大きな利益をもたらしているということを表現したが、それも削除されてしまったということである。

ここまでくると、ある意図があって戦略的あるいは政治的に情報操作されていることも疑われる。私たちは、メディアが何を伝えているのかではなく、何を伝えていないのかという視点で情報を検証することも必要になっている。検閲後の情報しか得られなくなると、正しい判断ができなくなることは歴史が証明している。しかも、その検閲は私企業によるものである。政府以上に力を獲得した私企業による検閲行為は非常に力がある。私たちはすでに誤った判断をさせられ、バランスを失った考えを植え付けられているのかもしれない。いったん立ち止まって伝えられていない情報を積極的に取りに行くことも必要なのであろう。

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