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一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数

「手当(てあて)」を「てとう」と読む政治家が現れましたが、これは日本の国語教育の再考を促す出来事だと思います。人は、母語の運用能力が高まらない限り、思考能力に限界が生じます。母語と思考は密接に関連しているということです。

藤原正彦氏は、『祖国とは国語』(新潮社、2005年)において、「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数。あとは十以下」といいます。それだけ国語教育が重要だということです。小学校からの英語教育などもってのほかということ。

同じく藤原氏は、『国家の品格』(新潮新書、2005年)においても、小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法といいます。公立小学校で英語など教えたら日本から国際人がいなくなるといいます。逆説的ですが、国際人になるには、まず日本語を固める必要があるということです。

藤原氏は、ご自身のケンブリッジ大学における苦い経験を披露します。ある教授と会って挨拶した後に、「夏目漱石の『こころ』の中の先生の自殺と、三島由紀夫の自殺とは何か関係があるのか」と聞かれ、うまく答えられなかったそうです。もちろん、『こころ』も三島由紀夫の主要な作品も読んでいたそうですが、そんな質問に英語で答えられる準備がなかった。結局、武士道を持ち出して、死の美学についての乏しい知識を総動員して答えたとのこと。

あの藤原氏でさえ、このような状態ですから、私たちはもっと国語の重要性を学ぶべきだと思いました。そして、子どもたちにも英語以上に国語の力をつけてもらうことをもっと促すべきなのかもしれません。そういう意味で前出の政治家の事件は、強烈なメッセージ性があると思いました。

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