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私たちが生きる「環境破壊の時代」(前編)

人が環境を破壊し始めた時代

みなさまは、「人新世」という言葉をご存じでしょうか? あまり聞き馴染みのない言葉ですよね。人新世とは、「人によって地球環境まで影響が及ぼされている時代区分」のことです。つまり、「人が環境を破壊し始めた時代」のことです。

今回は、その人新世を引用した文献である『人新世の資本論』という本をご紹介していきたいと思います。難しい内容の本でもありますので、前編と後編に分けてご紹介させていただこうと思います。現在と未来の私たちの暮らしにかかわる大切なことですので、ぜひ知っていただけると幸いです。

さて、「資本論」の意味はご存知でしょうか。資本論とはマルクスが提唱した理論であり、資本主義社会を批判した本です。資本主義社会とは、利潤を追求した社会です。自由に商売をし、利益をどんどん上げてもいい、うまくいけば大儲け、うまくいかなければ自己責任という社会です。そして、これは今現在私たちが生きている社会でもあります。

今回ご紹介する『人新世の資本論』とは、「環境破壊の時代における資本主義批判」であり、もっとかみ砕くと「環境破壊を止めるには、資本主義を辞めるしかない」という主張をしている文献になります。この本のテーマは「気候変動ストップのための脱・資本主義」です。

なぜ資本主義を辞めるべきなのか?

 気候変動とは地球の温度が上がることで異常気象が発生するものです。環境問題が具体的にどのようなものかは知っている方がほとんどだと思います。しかし、それだけでなく、地球の温度が1度、2度上がることがどれだけ自然災害をパワーアップさせているのかを理解しておくことも重要です。最近では豪雨が続いて避難をするレベルの洪水が起こっていたり、家が倒壊するほどの量で台風が巻き起こっていますよね。これらはすべて気候変動の一部です。

この気候変動は自然の怖さで片付けていいものではなく、「人災」であることを前提にしていくことが必要です。

 この気候変動と資本主義社会がどうかかわっているのか。一時期ニュースで話題になっていたグレタ・トゥーンベリさんは、「大人たちがお金儲けにひた走って環境破壊を行うことで自分たち若者にツケを回している。」という主張をしていました。これはお金儲けをよしとする「資本主義社会」を止めなければならないということなのです。

しかし、若者世代VS逃げ切れる大人世代の責任の所在を追求する戦いの中で、この本は「資本主義」と「環境破壊」の最近の解決策でもある「SDGs」「グリーンニューディール」の二つの取り組みに対して批判している本でもあるのです。なぜ?と感じる主張ですよね。

SDGsは最近ようやく世間にも広まった概念であり、「環境問題」にとって回復していくための良いものだとしています。私たちもそう思いながら一人ひとり取り組んでいたりしますよね。

そしてグリーンニューディール。あまり聞き馴染みのない言葉かもしれませんが、これは「環境に良いビジネスに取り組めば、必ずチャンスを得て成長する」という政策です。環境に良い車を作ればビジネスとしても成功するなど、環境にやさしいものを作っている会社はこれから売れるということです。これをアメリカが主に行って引っ張っていくことでニューディール(新規巻き起こし・経済成長)していこう、という作戦です。

一見とても良い政策、作戦に見えますが、この二つについて不十分であると述べているのが参考文献である『人新世の資本論』なのです。著者は「そもそも環境破壊を止めるためには資本主義をつぶさなければ意味がない」と主張しているのです。

具体的に著者の主張を見ていきましょう。「SDGs」は和訳すると「持続可能な開発目標」です。開発・展開をして前に進んで成長しようという意味です。「グリーンニューディール」も和訳すると「緑の経済成長」になります。資本主義というのは前述した通り「あくなき経済成長を追い求める、利潤を追求する」ものですよね。

つまりそう考えるとこの二つの政策は「脱・資本主義」を目指したものでは一切なく、「資本主義延命装置」であり、「新しい資本主義の形を示したもの」であると著者は述べているのです。

例えば、「環境に良い」とされている電気自動車は本当に環境に良いものなのか? 絶対に環境破壊していないのか? もう一度考えてほしいと著者は私たちに問いかけます。電気自動車に不可欠とされているのは「リチウムイオン電池」です。このリチウムというのはレアメタルです。リチウムというものを採取するためには、地下水を大量に汲み上げてリチウムを抽出するのだそうです。そしてこの作業には1秒に約1700リットルもの地下水を汲み上げるというものがあるようです。地下水にはもちろん生態系もいます。その地下水を人工的に大量に秒速で汲み上げた場合どうなるでしょうか? いうまでもなく生態系は破壊されます。

つまり電気自動車は、結果的には環境にいいものが完成しているように見えますが、その生産過程において環境を破壊していることになります。

この環境破壊をアメリカや日本から見えづらい場所で行うことで、外部に責任・負担転嫁しているだけであると述べているのです。結局は誰かが泣いていて、誰かが儲けていることになっている、何も変わっていないのだと著者は主張しています。

まとめ

 ここまで『人新世の資本論』における著者の主張とその理由を紹介させていただきましたが、みなさまはどう考えるでしょうか。次回の後編はこれらを踏まえて著者の脱・資本主義社会への方向性・具体案を紹介しながら考えていこうと思います。気候変動は年々勢いを増し、私たちに猛威をふるっています。一人ひとりの行動が、これから生きていく私たちの社会を決めていくのです。ぜひ、後編も一緒に考えてみませんか?

 参考文献:「人新世の資本論」斎藤幸平(集英社)

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