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マスク社会にみる日本の教育システムの原点

3月13日以前もマスクの着用は任意だった

2023年3月13日からマスクの着用については個人の判断ということになりましたが、世間の風景が劇的に変わったということはありません。そもそも、3月13日以前もマスクの着用は任意でした。

それまで、日本政府はマスクの着用を「推奨」していただけで、それをベースに小売店や交通機関がガイドラインを作成し、マスクの着用を促していました。その促しに多くの人々が従っていたということになります。

よって、誰もマスクの着用を強制することはできなかったことになります。小売店や交通機関のアナウンスを思い出していただければ、あくまでも「ご協力をお願いいたします」としていたのは、各社の法務部が検討した結果、最も妥当な表現を採用したためだと思われます。

そして、マスクの着用を脅迫や強要を用いて要求するような場合、刑法上の犯罪に該当することすらあったわけです。実際に、脅迫罪(刑法222条)や強要罪(刑法223条)に該当する事例に遭遇した人もいたことでしょう。

元々「個人の判断」であったものが、改めて「個人の判断」に

このような状況が変更され、実質的には、3月13日以降「個人の判断」であったものが「個人の判断」に、あるいは「任意」であったものが「任意」になったということです。よって、本質的なことは変わっていません。つまり、法律が変わったわけではなく、ガイドラインが変わったということです。その変更になったガイドラインすらあまり影響力もなく、今もマスク社会は継続中です。

海外の人からみると、このような現象は不可思議に思えるわけです。しかし、私たち日本人にとっては思いあたることがあります。それは私たちが受けてきた教育です。日野田直彦『東大よりも世界に近い学校』(TAC、2023年)によると、近代の学校の原点について次のように説明します。

教育というのは当初、特権階級だけのものでした。しかし資本主義社会において、資本家が経済活動を維持するために大量の労働力が必要になりました。その労働力、すなわち労働者が大量生産するシステムに必要になったわけです。その必要性を満たすために登場したのが現代の教育システムになります。

不条理な校則も設けて、教師のいうことをよくきく

一方、労働者が賢くなり自立されては資本家は困ります。賃金を上げろとか、労働時間を短縮しろなどと主張しだすと、資本家の儲けが減ってしまうので、できれば従順でおとなしい労働者でいてもらう必要があるわけです。

日野田氏は次のように強調します。そのため、学校では生徒の思想をチェックし、不条理な校則も設けて、教師のいうことをよくきく、忠犬ハチ公のような忠実な犬(労働者)を生産するシステムを作ったと。

つまり、権力者や会社の上司など、上に立つ人の方針や考えを踏まえて行動する人、もっといえば、「上」の意向をくみ取り、忖度できる人が必要で、そのような行動ができる人間を育てるために学校はデザインされているということです。

以上の仮説は十分に説得力がないでしょうか。マスクについて法律や規制、ガイドラインなどをもとに考えると、今の現状は理解できない現象なのですが、わが国が長年採用してきた教育システムを通して考えると大いに納得できる事象なわけです。今教育システムの変革が声高に主張されています。そのような意見の一つとして、日野田氏の提言はとても興味深いものがあります。

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