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「平穏死」という提言を考える

超高齢化社会の日本で「平穏死」について提言した医師がいらっしゃいます。石飛幸三氏は特別養護老人ホームの医師で、数々の看取りを実践してきた方です。石飛氏は「私たちが今、真剣に考えなければならないのは、どうしたら老化現象を食い止められるかということではなく、どうしたらいいかたちで加齢し、そして死んでいけるかということだ」といいます。

また、死にゆく本人だけではなく、看取る家族の考え方や心構えをも非常に大切であることを指摘しています。それは、ご本人の父親との約束で延命治療はしないということに対して、最後の瞬間に迷って延命治療をしてしまった後悔からの考えでした。プロの医師でも土壇場になると迷い、本人の意思を尊重しない選択をしてしまうということです。ここに平穏死を実践する場合の難しさがあるのでしょう。

石飛幸三『家族と迎える「平穏死」』(廣済堂出版、2014年)には、三宅島の看取りの習慣が紹介されていました。島では年寄りがものを食べられなくなったら、水だけ置いて、家族は静かに見守るそうです。そうすると苦しまないで自然に逝くのです。現代医学の粋を集めた先進的な病院で、スパゲティ状の管が体のあちこちにつながれ、人生の最期を迎える光景とは異なり、古くから伝わる人間の大切な知恵は、私たちを静かにあちらの世界へ運んで行くのかもしれません。

石飛氏の所属するホームの看護師に、自分の母親を看取った方がいます。その看護師の母親は、実の両親と配偶者の両親の合計4人を自宅で看取りました。しかし、残念ながら夫を病院で、様々な管を付けられた状態で看取った経験をしました。夫の死はそれなりに大変だったのでしょう。そして、その看護師が自分の母親に「自分の番が来たらどうしたい?」と聞いたところ、「迷惑をかけたくないから、家で死にたいなんて言わない。病院で死んでもいい。ただ、延命措置は、いっさいしないでほしい。それだけは約束して欲しい」と言ったそうです。そして、「いのちの終わりは自然がいちばんだと思う。家で看取ったおじいちゃん、おばあちゃんはきれいだった。何もしないほうが、やっぱりきれいだね。できればああいうふうに逝きたい」と言ったそうです。

石飛氏の経験によると、点滴や様々な薬を入れ続けた末に亡くなった人は、体が水膨れになり重いといいます。それに比べて、自然に寿命がつきて亡くなった人は、体が軽く、まるで枯れ木のようになるそうです。体に必要がないものは、一切残っていないからだそうです。 平穏死を選ぶか、最後まで戦い延命治療を選ぶかは、人により、家族により異なるでしょう。しかし、数多くの看取りを医師として経験してきた石飛氏の話は、私たちに自身や自分の家族の最期がどうあるべきかを考えるきっかけを作ってくれそうです。

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