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「環境原理主義」からバランスを取り戻す

単一の価値観を信奉し、他者の価値観を排斥するようなことを原理主義といいますが、最近の環境原理主義という考えにも警戒しなければならないと思われます。特に批判しにくい正論に聞こえるので、その点、宗教的あるいは経済的な原理主義よりも、自らを律してバランスを維持しないといけないようです。

有馬純『亡国の環境原理主義』(エネルギーフォーラム、2021年)によると、既存の原発1基を太陽光発電で代替するには、出力変動に対応するための蓄電池も含め、JR山手線の内側を上回る膨大なスペースと余分なコストがかかり、しかも原発も同じ脱炭素電源ですから、二酸化炭素削減には何も貢献しないといいます。ここでは、原発の良し悪しを議論することはしませんが、脱炭素の視点からはまったく価値のない無駄な投資をしていることになります。

太陽光や風力といった変動制再生可能エネルギーの最大の欠点は、日が照るとき、風が吹くときしか発電しないことです。必要なときに必要なだけ発電できる、火力や水力、原子力と異なり、他の電源によるバックアップや蓄電池を必要とし、再生可能エネルギーは自立できない電源になります。

また、日本の場合、太陽光発電に適した平地が少なく、山の斜面にもパネルが設置されるようになり、景観を損ね、豪雨でパネルが崩落する事故も起きています。しかし、福島第一原発事故以降、反原発原理主義と再生可能エネルギー原理主義という二つの原理主義が横行してきました。それでも何とかコストを抑えることができたのは、石炭火力を一定維持してきたからです。

ただ、今後は石炭火力が縮小し、環境原理主義者は、攻撃の対象を他の化石燃料にも拡大しようとしています。天然ガスも火力も使えなくなり、再生可能エネルギーの目標が高く掲げられると、エネルギーコストは上昇し、日本の製造業の競争力は失われ、雇用にも影響が出てきます。日本は、省エネ技術とエネルギー源多様化によって、コストの上昇を抑えてきた経緯がありますが、現在の環境原理主義の前に経済破綻の道を歩んでいるといえます。

本来は、日本の高効率石炭火力技術は世界でも高性能であり、ASEANやインドで投融資を行ってきました。しかし、環境原理主義のために、その技術も生かせなくなっています。それどころか、世界銀行は、石炭火力プロジェクトへの融資を停止し、アジア開発銀行もそれに追随しています。さらに、石炭火力施設に対する保険の引受けも規制されるようになってきました。

しかし、先端的な技術を使った省エネの石炭火力等と、太陽光発電等の再生可能エネルギーを比較した場合、長期的に本当に環境に優しいのはどちらなのでしょうか。そのような緻密な検証はされてきたでしょうか。あるいは、極端な脱炭素という目標は本当に正しいのでしょうか。そもそも、環境原理主義のもとでは、そのような問いも許されない雰囲気があります。

環境問題は、政治的問題も含み、各国の思惑で動いているところもあります。二酸化炭素排出の削減のために、脱炭素という目標が掲げられるのはわかりますが、極端な再生可能エネルギーへの依存は、日本という国を亡ぼすことになるという警鐘が、有馬氏から鳴らされています。原理主義の危険性に気づき、現在のエネルギー政策に対して問いを立てるということが必要なのでしょう。何ごともバランスを失った議論は、破綻の道のりへと繋がります。

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