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日本語が消滅する前に文語を守ってみる

前回、文語を学ぼうとして何度も挫折したことを書きました。文語文を書ける人たちは、70代後半、あるいは80代の方々です。その方々がこの世からいなくなれば、おそらく文語は消滅すると思います。

私が法学部の学生になったのは1987年ですが、当時の民法や商法の条文は、歴史的仮名遣いでした。いわゆる文語体です。民法や商法が制定されたのは、明治時代なので当然なのですが、最初は難しく感じていました。でも慣れというものがあり、徐々に気にならなくなったものです。その後、2005年に民法も商法も口語化され、条文から文語は消えました。今読むと、格調の高い良い日本語だったとも思います。

このように言葉は消滅していくわけですが、日本語も消滅の危機にあるといいます。山口仲美『日本語が消滅する』(幻冬舎新書、2023年)によると、次の三つのシナリオを想定します。

① 話者の6割近くが死滅してしまった時
② 強国に同化政策を施されてしまった時
③ 自発的に他言語にのりかえた時

自然災害や戦争が①でしょう。②は中国に侵略されたというような場合でしょうか。あるいは、今の日本でも密かにアメリカによって同化政策が行われているのかもしれません。③などあり得るかと思うのですが、過去にそれに近いことはありました。

明治時代、初代文部大臣になった、森有礼は、日本語を廃止して英語を公用語にしようと提言しています。欧米に対抗するために英語は必須と思い至ったのでしょう。その後、過激な思想のためか、森は暗殺されています。

第二次世界大戦後には、文豪の志賀直哉が、日本語は不完全で不便なので、日本語を廃止して、世界で一番美しい言語であるフランス語を国語とすべきと主張しました。しかも、志賀自身は、フランス語が読めたわけでも話せたわけでもないようですが、フランス文学に共感を抱いていたのか、フランス語を国語とすべきとしていました。

そして、最近では、2000年の小渕恵三内閣の時に、英語の第二公用語化という案が出てきました。日本語を廃して英語というわけではありませんが、日本語に加えて英語も公用語とするという考えです。シンガポールやインドのような多民族・多言語国家であればいざ知らず、どうして日本でとも思いますが英語の重要性が叫ばれました。

このように、自発的に他言語にのりかえるなどあり得ないと思いますが、現実にはそうではありません。実際多くの親は子どもの習い事として英会話に通わせます。意識せずとも、私たちは母語を捨てる準備を着々と進めているようです。日本語は劣っている言語なのか、植民地の言語なのでしょうか。そうは思いたくありません。

そして、日本語が消滅する前に、今まさに風前の灯火にある文語に注目したいと思いました。もし文語が消滅すれば、次は日本語の可能性もあるのではないかと。ここは踏みとどまり、まずは文語を保存する活動にも協力できればと思うのです。そうしないと、日本の伝統や魂は潰えることでしょう。

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