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洗脳されない環境問題⑤ – ペットボトル 編

ペットボトルは今、海ごみのうちでも漂着ごみと言われるごみの原因物質で大きな割合を占めています(『海洋ごみをめぐる最近の動向』・平成30年9月・環境省)。ペットボトルは、1967年にアメリカのデュポン社で開発されたとのことで、日本ではそれから10年後の1977年に醤油の容器として使用されたのが始まりとのことです(PETボトルリサイクル推進協議2020年度版年次報告書)。ペットボトルは、画期的でした。それまでのドリンクの容器といえば、缶の容器だったり、紙の容器だったり、開けたら全て飲む必要がありました。でも、ペットボトルには蓋ができたので、飲み残しても気にせずに蓋を閉めて持ち歩けました。これは大変便利でその当時、「すごい便利なものができたなあ」と感激したことを覚えています。皆さんも同じ気持ちだったのでしょう、爆発的に広まっていきました。

ペットボトルの素材は今や、いろんなものに使われています。病院に行かれた時に、採血されたことありますか? 腕に注射針を刺されて、プラスチック製の試験管をセットすると、血がチューっと試験管に入っていきます。あの試験管を採血管というのですが、あれもペットボトルと同じ材質なのです。昔の採血はガラスの試験管で採取していて、血液の検査途中にそのガラスの試験管が割れることがあり、割れてしまうと再度患者さんに採血をお願いしなければならなくなります。採血する側にとっても、される側にとっても非常にストレスになっていたので、割れない丈夫なペットボトルの成分で作られたのも大きな理由だということです。

前項で話した飲料水ですが、現在は水道水かペットボトルのミネラルウォーターとしてか、二つの選択肢があります。僕はいつも思うのですが、プラスチックがダメだと社会的うねりのためにレジ袋が有料化されたり、プラスチックを減らそうと言う動きがあったり、海ごみで結構の割合でペットボトルが占めている現実があるのですが、ペットボトルについては、社会的風潮として、あまり叩かれないのがなんとも不思議です。特に飲料水に至っては、各家庭に水道が引かれ、蛇口をひねればいつでも安全な水が出てくるにも関わらず、ペットボトルの水が好まれて飲んでいます。重いペットボトルを抱えて家まで運んで、それを飲んでいる現実。飲料水のペットボトルは、環境にいいとは思いません。採水された水が、工場で検査されたと、ペットボトルに詰められて、スーパーマーケットまでトラックで運ばれます。それをお母さんたちが買って、重いペットボトルの水を家まで運ぶのです。それらにかかるエネルギーといったら、それは大きなものになります。家では蛇口をひねるだけで飲める水がいつでも飲めると言うのに。そこの関係は、誰も言わない。プラスチックを敵とみなす方々も何も言わない。世の中は不思議です。

洗脳されない環境問題(立田真文 著・アメージング出版)より ※一部編集

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