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砂糖の歴史から紐解く私たちの食文化

砂糖は私たちの生活になくてはならないものでしょうか。砂糖が一般の人たちにわたるようになったのは、比較的最近のことのようです。夏井睦『炭水化物が人類を滅ぼす』(光文社新書、2013年)に歴史的な経緯の記述があったので、簡単にご紹介したいと思います。

18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスで産業革命が起こりました。それまでは、家族単位で行う小規模の家内制手工業だったものが、大規模な工場による大量生産がはじまるようになります。この大規模工場を稼働させるためには、多くの労働者が必要でしたが、そのため地方の農民が都市住民となって工場で働き賃金を得るようになります。

当時、一般的な労働者の家庭では、妻や子どもも工場で働いていたため、それまでのように、主婦が家庭で伝統的な食事を作るということができなくなりました。そこで、工場の労働で疲れ果てた女性でも簡単に作ることのできる食事が工夫され、普及することになります。この新しい食生活の中心的な役割を担ったのが「砂糖」だったそうです。

簡単に作れるもので、お腹いっぱいに感じるものがいいわけですが、それが砂糖たっぷりの紅茶であったり、ジャム、果物の砂糖煮、冷肉などだったそうです。そして、工場労働者もまた、砂糖過剰な食事を歓迎しました。なぜなら、砂糖は長らく王侯貴族や上流階級のみに許された「王の味」だったからです。現代の私たちの朝食などでも、パンとジャムというのは定番で、手っ取り早い食事と考えられますが、産業革命に起源があったのかもしれないというのは興味深いです。

カリブ海の西インド諸島で生産された砂糖が大量にヨーロッパに輸入されて価格が下落したため、この砂糖漬けの生活が可能になります。また、西インド諸島で、サトウキビの大規模プランテーションがはじまったとき、このプランテーションの維持運営のために、西アフリカから奴隷船に乗せられた黒人奴隷が強制労働させられることになります。悪名高い三角貿易ですが、産業革命の原動力になります。

夏井氏は指摘します。砂糖はその白さで奴隷労働の悲惨な現状を覆い隠し、甘さで人間を魅了した。ヨーロッパの人たちにとっては、砂糖生産現場はあまりにも遠く、それがどのようにして作られているのかまで考える余裕もなく消費され続けた。生産地と消費地の距離が離れれば離れるほど、消費者は生産者のことを考えなくなり、生産の現場で何が行われているかに無頓着になる。その究極の姿が「食のグローバル化」であり、「食料生産のブラックボックス化」だと。

砂糖の歴史を紐解くことで、私たちの食の意味合いも違って見えてきそうです。もともと、夏井氏の著作は、糖質制限からみた生命の科学について議論を展開したものですが、糖質のことから砂糖の話に展開しています。糖質を摂取することが私たちの健康や生活にどのような影響があるのかを探求してみると、意外な周辺情報にも出会うことができ、日々の食事に対する考え方にも影響を与えそうです。

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