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「文系」と「理系」のレッテルを外し学ぶ

受験シーズンですね。現在受験中の人も過去に受験した人も、高校生の段階で文系と理系の選択をさせられたと思います。その選択のために、その後の人生の方向性も決まってしまうことが多いのですが、なぜ高校生という早い段階から文理の選択がなされるのでしょう。現実社会は、文理で分けられるほど単純ではないのですが。

隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』(海星社新書、2018年)によると、日本において、「文」「理」と二分類する表現が明確にみられたのは、1910年代のようです。中等教育に定めた第二次・高等学校令に「文科および理科」という表現が明記されます。文科は、法、経済、文学で、理科は、理、工、医になります。これ以降、大学入試の準備段階で、文系志望・理系志望に二分する方式が定着していきました。

しかし、日本が模範にしていたであろう、同時期の英独仏の大学入試制度ではここまでの徹底はみられません。背景には、日本が素早く近代化するために、まずは法と工学の実務家を養成することが目的とされ、そのような区分けが効率的だったからでしょう。しかし、学ぶ側にとっては、そもそも効率性ということよりも、自由に興味のある好きな分野を学べるということも大切だと思います。そして、何よりもバランスの取れた多角的視点を得るという点でも必要なことになります。

実際、フランスの高校生は、バカロレアという共通試験を受けます。試験科目は、哲学、歴史・地理、数学などの必須科目があり、物理・科学、外国語、生命・地球科学、生物学などの選択科目があります。特に哲学と国語は重要とされているようです。このバカロレア試験に合格した生徒は、好きな大学の好きな学部に行けます。入学試験というものは存在しません。ドイツも似たシステムになっており、共通試験に受かればどの学部でも選べます。イギリスの大学も、数学から古典まで幅広い知識を学んでいるということで、極端に文系と理系という分け方はしていません。日本はある意味で文系か理系かのレッテルを貼られてしまい、その後の職業選択も含めた人生の方向性が決められてしまいます。

江勝弘『理系・文系「ハイブリッド」型人生のすすめ』(言視舎、2019年)では、高校時代における文理選択がもたらす弊害を次のとおり挙げています。

  • 将来の職業選択の幅を狭める
  • 教養不足の社会人を生み出す懸念がある
  • 特定科目に苦手意識を持ったままになる
  • 選択しなかった特定科目の学習機会を奪われる

このような弊害があるにもかかわらず、近代化するための最短の道を選ぶために、効率性の観点から文理の区分けができたのだと思われます。しかし、日本はすでに近代化しており、成熟社会に移行しているので、効率だけでシステムを考える時代は終わったと思われます。かといって、教育システムが急激に変わることは期待できないので、私たち個々人が、常に文系と理系という枠組みにとらわれずに、異分野に興味を持って学んでおくことが大切なのでしょう。特に社会人は、バランスの取れた考え方や物事の見方を獲得するという点でも重要なことかもしれません。

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