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洗脳されない環境問題② – エコバック 編

昔は、『買い物かご』というものがあり、一家に一つはありました。スーパーマーケットにあるようなプラスチック製の買い物かごではなく、ビニールの紐で編み上げてあるものでした。お母さん達が、肘の内側にその買い物かごをかけて買い物にいくのですが、肘が曲がって手のひらが上に向いている格好を、子供ながら変わった姿だなあと思っていたことを思い出します。今はスーパーマーケットでは台車があるし、買った後のエコバックも手提げが主流なので、肘を内側に曲げて買い物かごを持っているお母さん達の姿はあまり見かけないです。今思うとこの買い物かごも、エコバックの一つで、昔からエコバックはあったのですね。エコバックは現代社会が考え出した方法ではなく、昔は単純に買い物かごと言っていただけに過ぎません。

ちょっと前まではスーパーマーケットでは、紙の袋が普及していて、紙の袋に入れてもらって、それを持ち帰っていました。買い物かごをプラプラ持ってくるよりも、紙の袋に入れてもらった方が便利なので、紙袋が買い物かごにとって代わり普及していきました。僕は小さい頃、紙袋を抱えて持って帰ってたことを記憶しています。その頃は、袋といえば紙製でしたから、魚を個人商店の魚屋で買ったときは、紙の袋に入れてくれてました。新聞紙に、包んでくれる店もありました。

それからレジ袋が開発され、紙の袋をレジ袋に入れて貰って持ちやすくして貰ってました。紙の袋がだんだんなくなり、レジ袋に取って代わってきました。その時、紙の生産には木を使うから、木を切り倒さなくてはならない。だから全国の山が森林破壊でハゲ山になるとか、世界的に見るとアマゾンの密林がハゲになっていくということが言われ始めた時でもありました。そんな社会的風潮もあり、紙袋に代わるレジ袋が社会に浸透してきたようです。もともとレジ袋は日本で開発されたようです(『「レジ袋」の環境経済政策―ヨーロッパや韓国、日本のレジ袋削減の試み』・平成18年7月・舟木賢徳・リサイクル文化社)。

紙袋より、丈夫で取ってもついて持ちやすく、軽く、別の用途にも使えるので、レジ袋が流行って行ったのでしょう。今、そのレジ袋が矢面に立たされて、代わりにエコバックが推奨されています。

要するに、昔の買い物かごを持って買い物に来てね、という時代になって来たわけです。正に時代は繰り返される、ですね。このエコバック、今は昔のような買い物かごではありません。みんなが持っているのを見ると、ちょっと素材が強めの普通の袋です。ハンドバックに入れていつでも持っていられるように、綺麗に畳めてコンパクトのものが流行りのようです。しかし、よく考えてください。エコバックって本当は何でもいいんです。家にあるものでいいんです。特別にエコバックって買わなくていいし、それこそ家にあるレジ袋でいいのです。

みんなが新たにエコバックを買い出すと、レジ袋の生産で使う何倍ものエネルギーと資源が必要となってきます。また、繰り返し使う目的のエコバックは清潔なのか? とも思ってしまいます。コロナでトイレでの送風乾燥機が使用禁止になり、ペーパータオルが置いてある。ちょっと前まで、ペーパータオルは資源の無駄使いとか言ってたにも関わらず、清潔にという風潮に代わり使い捨てペーパータオルを使っている昨今に、使い捨てのレジ袋に規制をかけて、何回も使い回しするエコバックの利用を推奨するのがおかしいですね。たまたま相反することが重なったからかもしれませんが、なんでもかんでも環境の為と言うことが僕は嫌いです。

スーパーマーケットでのアナウンスで流れている、「地球温暖化防止の為にエコバックでお買い物」をと言うのがさっぱり僕は理解できません。先日、買い物でセルフレジを待っていたら、如何にもコロナ感染対策バッチリと言うおばさんが、セルフレジを使ってました。マスクして、メガネして、タッチパネルはウェットティッシュを介してタッチしてました。でも、エコバックなんですね。 また、最後のトドメが現金払いでした。現金を素手で財布から取り出して投入してました。あれだけ自分を防御しているのに、そこは素手掴みの現金払いなんや、と思ってました。お金っていろんな人に渡って来てるので、汚いものだと言う認識が一般的ですよね。でも、逆に、まさか、あの投入している硬貨はもしかして、一枚一枚を家で洗ってるのかも、とかも考えていました。特にこのご時世、マスクは使い捨てがいいとか、手を拭くのはペーパータオルがいいとか言われる一方で、使い回しのエコバックが無理やり推奨されているような気がして、なんだかなあと思います。

洗脳されない環境問題(立田真文 著・アメージング出版)より

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