善か悪かという問題の立て方は単純明快で便利です。しかし、複雑な世の中のことを二つに分割して整理する方法には流されずに立ち止まって熟考する間合いが必要だと思われます。そして、この善悪二元論を多用するのがマスメディアになります。
金子勝=アンドリュー・デウィット『メディア危機』(NHKブックス、2005年)によると、日々、視聴率や読者数の獲得競争にさらされているメディアは、二項対立の図式を使って、より分かりやすい記事や番組を作る方へ流されていく傾向があることを指摘します。
そして、政治の世界ではイメージ操作という方法も使われます。ある象徴となる国や人物が「悪」の根源であるかのようなイメージを作り上げることができれば、理屈抜きに自らの政策の正統性を演出することが可能です。特にテレビは映像を通じて、そうした象徴的イメージを増幅させやすく、視聴者に対して二項対立のスローガンを何度も繰り返すことで「刷り込み」が可能です。政治とメディアは密接な協働者なわけです。
堤未果ほか『支配の構造』(SB新書、2019年)においても、メディアが戦争をはじめるのはとても簡単だといいます。大衆を感情的に煽ればいいということですから、特に大手メディアというのは非常に危険な情報媒体ということになります。よって、大手メディアに対して、私たちは警戒してもし過ぎることはないともいえます。
そして、メディアが煽ることで戦争が起こっても、メディア自体が戦争責任を問われることはありません。暴走して戦争に突き進んだのはあくまでも大衆であり、メディアは情報を提供しただけだと言い訳ができます。よって、メディアは責任を取るつもりはないので、そのようなものだと認識したうえで、彼らが発信する情報に接する必要があります。
アメリカにおいては、2003年に「大量破壊兵器の存在」を理由に、イラク攻撃を踏み切りました。しかし、証拠などなかったことが明らかになった後も、アメリカ国内メディアはほとんど横並びでイラクを非難し、戦争を支持し続けました。そもそも、大量破壊兵器の存在は捏造されていたにもかかわらず、国民はそれを見抜けなかったのです。
著名な言語学者のノーム・チョムスキーも『メディア・コントロール』(集英社新書、2003年)で同じような指摘をしています。人々を扇動するには、敵に対する恐怖心をかきたてる必要があると。1930年に、ヒトラーは国民を扇動して、ユダヤ人やジプシーへの恐怖心をかきたてます。自分たちを守るためには敵を叩きつぶさなければならないと。メディアは常に仮想の怪物を作り上げて、人々を戦争に導くということです。
第二次世界大戦後にソ連が脅威とされました。また、何の前触れもなく突然、サダム・フセインやカダフィ大佐、ビンラディン等のテロリストが登場し、北朝鮮等の危険な敵国が想定されています。これらは本当に私たちを脅かす存在だったのでしょうか。誰かその証拠を掴んでいるのでしょうか。メディアが発信する情報を鵜呑みにして、戦争を正当化することほど愚かなことはありません。このような戦争で誰が利を得るのか冷静に考えてみる必要があります。一連の戦争やテロで金儲けしている人たちがいるのではないかという仮説は、あながち間違っていないと思います。