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フルコースの延命治療を考え直す

人はいつか亡くなります。しかし、頭ではわかっていても、身近な人が逝きそうなとき、あるいは自分の死というものに例えた場合、なかなか死というものは受け入れられません。しかし、本当に延命治療というものが本人にとって、あるいは家族にとって必要であるのか、見直す機会はいつか作ったほうがよいかもしれません。

萬田緑平『穏やかな死に医療はいらない』(朝日新書、2013年)によると、延命治療とは、病気がもはや不治かつ末期状態の患者さんに対して、本人の意思を確認できないままチューブだらけにして、ずるずると亡くなるまで続けられる治療のことと定義しています。

萬田氏が医師として多くの看取りの場を経験しています。延命治療をされた患者さんは、むくみで手足をパンパンにさせ、歩くことも、自力でトイレに行くこともかなわず息を引き取っていきます。看取りを迎えた病室には重苦しい空気が立ち込め、医師や看護師は敗北感を抱き、駆け付けた家族は疲れと後悔をにじませる、こんな光景が一般的だといいます。

そして、萬田氏はあるときから、在宅緩和ケア医として、延命治療というものをやめることにしました。治療を諦めると思うと、「死ぬのを待つだけ」に思えますが、治療を「やめる」と主体的に捉えると自分らしく生きることにつながるといいます。たしかに、冷静に考えると、あらゆる人は「死ぬのを待つだけ」の人生なのですが、そのことを忘れると、治療を受ければ人間は生き続けられると錯覚します。

呼吸状態が悪化して息が止まりそうになると人工呼吸器、口からチューブを入れる気管内

挿管。さらに呼吸が悪化してくれば、気管切開をして酸素を送り、血圧が下がって心臓が止まりそうになったら、強心剤を点滴します。今ではさすがにここまでする病院は少なくなったようですが、昔はよく見かける光景だったそうです。こうした延命治療は半日あるいは一日、長い人であれば一週間くらい命を延ばすことができますが、息を止めさせない、あるいは心臓を止めさせない、という程度の意味しかありません。

このような延命治療を散々経験してきた萬田氏が行きついたのが在宅緩和ケア医だったわけです。余分な医療、余分な食事、余分な点滴、そのようなものをやめることで、多くの人は苦痛から解放され、ぎりぎりまで人生を生き抜くことができるといいます。

萬田氏の提言には多くの示唆が含まれており、現在医学における延命治療というものを見直すきっかけになるものと思います。これは、ゆっくりとじんわりと生き抜き、そのまま老衰モードに入る自然死のあり方なのだと思います。

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