太陽光発電と自民党議員の利権が暴露されたり、実は脱炭素は虚偽にまみれているといわれたりしている。本当に地球環境のことを考えたときに何が真実かみえなくなってくる。SDG’sの掛け声も環境ビジネスによる金儲けの仕掛けなのではないかと疑いたくなる。古くは、ドネラ H. メドウズ『成長の限界』(ダイヤモンド社、1972年)の警告にはじまる地球と人類の破滅説があり、資源枯渇、食料危機、環境破壊など、コンピューターを駆使して予想していたが、いまだにその予想は現実のものとはなっていない。40年後には大崩壊するということであったが、時期が延びているだけなのか、あるいはそもそも間違っていたのか検証はされていない。
そのような事実もあり、環境問題の検証が難しいあるいは検証が不可能ではないかという見解もある。たとえば、環境会計で著名な國部克彦教授は、「気候変動の罠(3)巧妙すぎる地球温暖化説」note(2021年10月15日)において、地球温暖化説は遠い将来のことで、すぐには結果が出ないので批判しようがない。また、もし気温が上昇すれば、CO2の削減がうまくいかなかったといえばいいし、もし気温が上昇しなければ、CO2の削減努力が功を奏したと説明しておけばよいので、どちらでも説明がつき、批判されにくい構造になっているという。
このように、環境問題というのは、正解をみつけるのは難しい課題であり、実は世の中には勘違いしたエコ活動も多いのかもしれない。
武田邦彦『偽善エコロジー』(幻冬舎新書、2008年)は今でも色あせない指摘が満載である。最近話題のレジ袋も、廃止すると石油の消費量が増えることが指摘される。つまり、石油の成分はいろいろあるが、レジ袋に使われる成分は、使い道がなくて燃やされていたもので、レジ袋のおかげで、石油が無駄にされることなく有効利用されているという。一方、エコバックで使われる石油の成分は、希少なものらしく、より石油を消費してしまう。
割り箸も国内の森林を育てて自然を大切にするなら、国内産の割り箸を使うべきあるという。割り箸は、木から角材を作った後に残る端材を原料にしているので、むしろ無駄を省きゴミを減らしていることになる。
その他、古紙のリサイクル、ペットボトルのリサイクル、空きビンのリサイクルなども意味がないどころか、環境に良くないことが指摘されている。もちろん、武田氏は資源材料工学の専門家で、環境問題の裏のことまで調べる能力があるわけだが、市民レベルでも政府や自治体、マスメディアが喧伝するエコロジーに対して、冷静な視点をもって評価したほうがよい時代に入ったのだと思われる。最近、気候変動を理由に煽る論調が極端に増えている状況をみるにつけ、よりその思いを強くするわけである。