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洗脳されない環境問題➈ – リサイクル 編

リサイクルという言葉はよく聞きますよね。廃棄物をリサイクルして、これになりました、と言うのをよく聞きます。学校の授業でも必ず話に上がるので、みんないいことだと疑わなくなります。〝どんな場合でも〟リサイクルはいいことなんだ、と教えられてる。これが困るんです。当然リサイクルがいいこともありますが、リサイクルの専門家の僕からすると、リサイクルにいいイメージはありません。リサイクルがいいことだ、という風潮、ここにも洗脳があると思うのです。

まず、学校で習ったこと、先生が言ってたことは、全て正しいという思いがありませんか? 日本の戦後教育の名残で、お上が言ったこと、マスコミが言ったことは、全て正しいということが長年に刷り込まれていて、そういう潜在意識が植え付けらてるのでしょうね。今は、「マスコミ」のことを「マスゴミ」とか表現してその情報の偏りの酷さを非難しますが、じゃあ、非難してる人がそのマスコミに就職するとやっぱり、声を出せなくなる。現に、マスコミで働いてる人の中でも、マスコミから出てくる情報をおかしいと思ってる方は、いっぱいいると思いますが、いろいろなしがらみの中、声を上げないだけでしょう。組織というもの、社会というものはそういうものなのでしょうね。

社会というのは急激には変えられない、徐々にしか変わっていかない。 

話が逸れてしまいましたが、リサイクルというのは、そんなに素晴らしいものではないのです。リサイクルさえしたら、「全てが解決」ではないのですね。まず、リサイクルしても、リサイクル製品は普通は売れないのです。エネルギーとお金をかけて、売れないものを作っても、また新たなごみを作っているようなものです。この売れるか売れないかっていうのが、大きなポイントであり、ネックなのです。

ここさえうまくいくと、リサイクルは素晴らしいことです。例えば、食べ残しとか、食品残渣をリサイクルして、肥料を作るとします。これは食べられる廃棄物(有機性廃棄物とも言えます)のリサイクルの常套手段です。この食べ物を処理して、いわば有機肥料を作り、これを肥料として畑で使ってもらおうと考えます。これは当然いい考えですし、理に適っています。我々の食べ残しから肥料を作って、それを畑に施用して、野菜を作り、それをまた我々が食べる。そこで残った野菜などは、また肥料にして畑に施用して、野菜を作る。循環型社会の典型的な理想像です。でも、あくまで理想なのですね。現実には、この肥料が売れないのですね。肥料なんて、今でも沢山の種類が出回ってますし、その自分がリサイクルで作った肥料が好んで使われる理由がないのです。

肥料の生産者は、自分の肥料は素晴らしい! この肥料で作った野菜は、美味しい、とか言いますが、みんな肥料の生産者は自分の肥料が一番だと言います。まあ、これは人情としてみんなそうでしょ。でも、実際物を売るという営業行為は非常に難しいです。性能がいいから、自信を持って推薦できるものだからといって、それが売れるわけではありません。今書いてるこの本も、自信を持って書いていますが、売れるかどうかは、別の話になります・・・ピエン。

物を売るって難しいんですね。まず社会のほとんどの人が、自分が作ったリサイクルの肥料の存在自体を知らないから、宣伝しなければなりません。人って、知らないものは買わないのですね。宣伝には、有名人を使ったり、テレビに広告を打つということをするとお金が莫大にかかります。最近はテレビではなく、ソーシャルメディアのインフルエンサーに宣伝してもらうということがあり、テレビの宣伝ほど、宣伝費が莫大でないにせよ、有名インフルエンサーほど、お金がかかってきます。結局、そんな宣伝費用も出したくないし、出来るだけコストを抑えたいということで、余計売れなくなります。

そうすると、倉庫に山積みになってしまったりします。だから、リサイクル製品ですと言っても、結局、使われないから、処分に困ることになるのです。肥料を作ってリサイクルを考えるときは、自分で畑を持って、そこで自分の肥料を使い、野菜を作って収穫し、それを自分のレストランで使う、そこで出てきた食品廃棄物は、肥料にして畑で使うというようなサイクルのループまで考えなければならないのです。

リサイクルの名の下、何かを作って、これ誰か使ってください! これでは、リサイクルは本当の意味で、環境に全く良くありません。僕は今までいろんな現場にも行ってきたし、いろんな事も経験してきましたが、特に家が産業廃棄物業者だったから、普通の先生と違って実務の経験も豊富です。トラックも嫌というほど、運転しました。

そんな経験の中で、例えば、綺麗に分別された空き瓶が埋立地で一緒くたにされていたりを見てしまうと、折角、お母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんが、時間をかけて手間かけて分別してくれた空き瓶がここで一緒くたになって、分別しようとしてくださった心が無駄にされたみたいで、悲しくなることもありました。

また、ある下水処理場に行った時の話ですが、ちょうど地元の小学生の社会見学をやっていて、たくさんの小学生がいました。下水処理場の担当の方がその小学生達に下水処理場から出てくる廃棄物はリサイクルされています、と力説されていました。それらの小学生が帰った後に、「リサイクルされてるというのは本当ですか?」と聞いました。もちろん、聞いた時は「そうです、リサイクルされています!」と元気よく、その担当の方はおっしゃってましたが、私がしつこく、「ほんとにほんとにそうですか、リサイクルされてますか?」と問いただすと、「実は、リサイクルされていないのです」とおっしゃってまいした。詳しい説明は避けますが、僕はその下水処理場から出てくる廃棄物から作ったリサイクル製品は強度が足らないと知っていたので、リサイクルされてないと知っていたのですね。でも、さっきの小学生達はリサイクルされていると信じて帰って行きました。「それって嘘じゃないの?」って思い、なんとも言えない気持ちになりました。

こういうことを経験していくと、リサイクルってなんなんだ? と専門家ですが、思ってしまいます。もちろん素晴らしいリサイクルもあります。例えば、アルミニウム缶のリサイクル。これは、エネルギーの観点からも是非すべきでしょう。リサイクルすることによって、大きくエネルギー削減にもなりますし、何はともあれ、行き先がしっかりしています。アルミニウム缶は、今、アルミニウム缶になっています。

でも、ここで大事なポイントがあります。一度使ったアルミニウム缶をそのまま回収して、そのままそっくりアルミニウム缶になるわけではないのです。アルミニウム缶の部位によって、含有されている元素が違うからです。胴体部分、天面部分、プルトップ部分。それぞれ、目的が違うので、それぞれに合金の成分が違うのです。だから、空になったアルミのカンカンをクチャっとして回収して、溶かすと成分が違うものが混合されてしまうので、そのままカンカンにならないのです。そこで、新しいアルミニウム(バージン原料と言います)を加えてやることで、純度をあげて、それぞれの部位の成分にしていくのです。 このバージンのアルミニウム原料を入れなければ、アルミニウム缶はアルミニウム缶には再生できないのです。ここは大事なポイントです。

洗脳されない環境問題(立田真文 著・アメージング出版)より

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